ブログのモチベーションを保つために考えた策

ブログを始めて10日目 

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何度も書き直しながら10記事 誤字脱字多し・・訂正の繰り返し

 

ブログを書くモチベーションを保つのって難しい

 

これからも書き続けるために何か策はないかな~

記事の書き方はないかな~&楽な方法ないかな~

 

そうだ10記事めずつこの記事で何記事めだぁ~って宣言していったらどうだろ?

 

 これも一つの過去記事扱いして、ブログの成長を楽しみにしてみる

10記事めずつ宣言♪ この小さな達成感を味わうためだけ記事更新

 

成功するかどうかも自分次第なのだ

遠距離介護の掃除の記憶

※この話は両親が健在だった頃の話です

遠距離介護をしていた頃を思い出していたら実家の掃除の記憶が蘇ってきた

 

きれい好きだった母も老々介護が進むにつれて部屋に掃除機をかけなくなった

 

ほうきでたまに掃くようだけど、畳に色んなものがあってもそれをどけて掃くのではなく、見えてるとこだけパパッとするからほこりが舞うのでした

 

それでも母にとっては掃除です

 

夏はまだいい 畳が見える面積が広いから

問題は冬、こたつというか、こたつ布団がとんでもないことになっている

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とにかく

こたつ布団にたっくさんのご飯粒(カラカラの乾燥したの)やピーナッツ&その皮が

こたつ布団の縫い目にびっしりと入ってホコリと絡まっているのだ

 

食後に皮つきピーナッツを食べるのが大好きだった母の、その一角のこたつふとんからまず掃除機をかけないと掃除は始まらないってことです。

 

こたつの敷布団もさらにすごくて縫い目という縫い目に食べかすの乾燥したのが、入りこんでたし、薬とか、落してそのままだったらしい

 

父側のこたつ布団にも何やら白っぽいものがたくさんついてたし、あれは皮膚が乾燥したやつだったのか

 

掃除機のブラシを使って何度もブラシを動かして色んなカスを吸い取ってたな

ウィ~ンウィ~ンと気持ちいいぐらい布団がキレイになっていくのでした

 

でも数日でまた同じようにホコリまみれになるのだけど

 

 あ~

あの時はすんごく面倒だったけど、今は思い出になってしまった。

同居前に実家の持ち物を気持ちだけ断捨離

※この話は両親が健在だった頃の話です

一人っ子の私と主人、私の両親の4人で4LDKのマンションで同居することになった

 

ということで、田舎にある実家はどうするか

 

我が家の場合、田舎にある実家はもともと叔父が生前住んでいた家なのだ

私達家族が県外から引っ越ししてきたときに父の親戚から築浅だし誰も住む人がいないから使ったらいいと言われて住み始めた家

 

では遠慮なくってことで家族3人でやってきたのだ

 

思えば、住居費がかからなかったという事は大変有難いことで、30年間の間に何度か修理したり、リフォームしながら住み続けたわけです

 

 木造で冬は隙間風が身にしみる家だけど、タダだからね

固定資産税は払ってたようだけど・・・・ 代払いだったのか?

 

 

父の名義ではない家と土地なので、家と倉庫にあるものをスッキリと片付けて空にして出ていくことになりました。

 

タンスやベッド、昔の大きなステレオ(3つに分かれているの)食器棚、ソファ、勉強机、ピアノ、本棚、ミシン、テーブル、こたつ 家電製品・・・

本多し、倉庫には学生時代の自転車や教科書、もろもろガラクタ等、家族三人で過ごした時の流れを感じさせる物、物・・・・物・・・

 

捨てなきゃ です。

 

とにかく同居先は4LDKのマンション

父と母の部屋はありますが、クローゼットにも限りがあるので多くは持っていけない

 

私の思い出の品がたくさん置いてあったわけで、私もここで思い切って捨てる覚悟をしなくてはいけませんでした。

 

ほとんどの物が古いし壊れそうなものばかりだったけど、母が知人友人に声をかけソファやテーブルやタンスなどけっこう大物を持って行ってくれたのでした

なんだかな~気持ちがいいぐらい持っていったけどな~

 

寂しい

 

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それでも捨てられない手放せないものがあるのです

 

 

 

マンションに引っ越して感じたこと

マンションに引っ越ししてきて最初に感じたこと 

 

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「なんだか寂しい」でした。

 

マイホームを手に入れて嬉しいハズなのに、引っ越し前のアパートの住み心地や周りの環境が懐かしくて仕方ないのです。

 

アパートの部屋からは公園が見下ろせて、春には満開の桜並木がとてもがきれいで、秋は紅葉が美しく、いつも子供たちの声や犬の散歩をする姿や元気に野球をしている様子など、季節や人の気配を感じることができた場所でした。

 

マンションは眺望も良くて海も見えるし夜景もきれい、何より空が大きく見えて気持ちいいのですが、窓を閉めてしまうと人の気配を全く感じない、リビングから外を見てもベランダの塀と空しか見えないのです。

 

そして、音がしない・・・

 

もし、このまま一人で倒れたら誰も気づかないかも

と変な不安に駆られて引っ越し当初は悲しい気持ちでいました

全く 贅沢な悩みです

(いざとなったら緊急の呼び出しコールははついているのに)

 

きっと引っ越しブルーだったのでしょう

 

将来同居するために4LDKを選んだ部屋は夫婦ふたりには広く感じました。

 

契約後、暮らしやすくしていくためにコンセントの位置を変更したり、間取りも少し変更したりと色々と手を加えて引き渡してもらった部屋でした。

 

少しずつ馴染んできた部屋で夫婦二人過ごして半年後、両親との同居が始まりました。

将来同居するためのマイホーム購入

遠距離介護がまだ頻繁ではなかった時期に私達夫婦は新築マンションを購入

 

 

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けっこうさかのぼった話になりますが私が生まれた頃 両親は都会で生活していました、父は満員電車に揺られて通勤する若いサラリーマン

 

しかし父は都会での生活で体調を崩してしまい、医師から「空気のきれいな所で生活したほうがいい」と言われたそうです。

 

もともと呼吸器系を患っていた父は田舎に帰ることを決意、私が幼い頃に引っ越してきました。

田舎には父の叔父が生前住んでいた築浅の家がありその家に住むことになりました。

その家も何度かリフォームしましたが30年以上経つと後々老夫婦には不便な住環境に

冬になると隙間が風が入ってくる木造の家で、とても寒かったこと・・・

 

さて、私たちは結婚して8年ぐらい経った頃、マイホームを持ちたいと土地や家探しを始めました。

 

当時住んでいたアパートの周りの環境が好きだったので、その周辺で探したのですが、新築一戸建てとなるととても手の届く金額ではないことがわかりました。ちょうどその頃、近隣に新築のマンションが建つことを知ったのでした。

 

 

モデルルームを見て価格も新築一戸建てより手頃だし、何より住み慣れて好きになった

この街で暮らせるのならいいと思い4LDKのマンションを購入を決意

 

夫と結婚の約束をしたとき、私は一人っ子だからいつか親と同居したいと思っていると伝えていた約束を守ってくれて4LDKの部屋を契約することになったのでした

 

 

 そして、マンションに私達夫婦が入居して半年後、遠距離介護が限界になった両親との同居生活が始まります。

遠距離介護が本格的になってあきらめたこと

一人っ子オバさんが30代だった頃の話

結婚して子供もいない専業主婦生活を送っていました

夫は地方都市にいて全国平均よりちょい下あたりの年収で、贅沢はできなくても

普通に食べていける生活でした

 

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私は好きな趣味を満喫させ資格を取り、なんとか指導する立場にまでになっていて

暇があれば、図書館へ行きその趣味関連の本を読み、勉強し目標をもったやりがいのある日々を楽しんでいたのでした。

 

その頃はマイホームや子供やを持つ事よりも、勉強するだけどんどん成長していく

自分の姿が好きで、資格まで得たこの趣味を自宅で教えていきたいと準備していた時期でした。「自宅でお教室」って憧れてましたから・・・

 

そんな矢先

 

遠距離介護が本格的になったのでした

 

実家からの助けてコールが頻繁にかかってくるようになります

 

 

私は20代の頃から呼吸器系が弱い父の入退院の付き添いをしてきました。

田舎で車の免許がない母には遠出は難しいことです。

 

そのたびに仕事の休みをもらい、実家に帰っていました。

あるときは仕事中に病院から呼び出しを受けて母のかわりに駆け付けたこともあります

幸い、理解のある職場だったので本当に何度も助けてもらいました。

 

結婚直後、私自身も子宮頸癌の手術をしたこともあり、専業主婦のまま生活していました。(子宮頸がんは初期だったので妊娠は可能でしたが子供には恵まれませんでした)

 

仕事に就かず専業主婦でいられたお陰で、両親が体調が悪いときにいつでも帰れるというのは精神的にも体力的にも楽で恵まれた生活でした

 

夫がきちんと働いて収入もそこそこあったからこそ出来た生活&遠距離介護です

(後に夫はウツ離職し年収が下がり、私も働くことになります)

 

実家は自宅から車で2時間半ぐらいのところにありました。

2か月に一回実家に帰るペースでしたが、ある日から父の眼科治療が遠方の病院に通うことになり毎月2~3日実家に泊まり身の周りの世話をするようになっていました

 

それが月日を重ねるごとに 毎月の実家泊まり2~3日が4~5日となり、だんだん一週間と長く実家にいることが多くなってきました

 

両親も二人でできることは頑張って生活していたので、私を呼ぶときは結構ギリギリに我慢した生活が続いた時でした。

  

 遠距離介護が本格的になってきたところで、自分の趣味の教室なんて出来る状況じゃ

なくなってしまいました。

もう少しで憧れだった「お教室」をあきらめることにしました。

一人っ子は親のお金の管理を把握しやすい

あ~私の40代は両親の介護でとってもくたびれた生活だった

 思い出すと辛いし悲しい・・・

 

しかしそればかりではなかったはず

一人っ子が両親の介護をしていて良かったことを思い出してみることにした

 

それは

一人っ子は親のお金の管理を把握しやすいということ

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 一人っ子でも兄弟がいる人も親の介護が必要になった頃には

オジさん&オバさんになっているわけで、そこに嫁または婿がいるのですね

 

そしてまた、兄弟がいる人がみんな親の近くにいるわけでもないので、当然実家の近くにいる子供や嫁または婿が何かと親を気にかけることになるのですが、

たま~に盆や正月で帰省する兄弟家族のほうが親から可愛がられたりするのです

 

まさにうちの夫がそう(私もちゃっかりその一味・・・)

 

うちの夫は3人兄弟

近くで義母の世話をしている義姉ともう一人の義姉とうちの夫

 

この長女義姉&次女義姉 姉妹仲が良いほうではない 

んん~~やっぱり仲悪いな

原因はズバリお金の問題!

 

ちょっとお金にルーズな次女姉は義母に甘えるのが上手だ

なので、しっかり者の長女義姉が母のお金や口座、保険や病院や介護認定等々ほとんどを管理している。

 

となると次女の義姉が不満を言ってきたりする・・・

うちの夫はほとんどノータッチで

実際自分の親にどれだけお金があるのか知らないようだし・・・

 

長女義姉 ホントに大変だとお察しします(-_-;)

義母と普段はバトルしながらでもほとんど面倒みてるし

 

私も嫁としての立場がありますが、ここは長女義姉を差し置いて

義母の面倒をみることに抵抗がある・・・

過去に義母の看病に行ったら、この長女義姉から良く思われなかったという残念なことがあったので義母の事は好きだけど、関わることは辞めました

 

現実に介護にはお金が絡んでくるので、嫁の立場では入れない領域

世の中きちんとその辺を上手にやっていってる家族もいると思いますが

私にはムリでした

 

そのうちの自分の両親の介護で精一杯になったし

 

義母にはそれなりの貯金とうちの夫も含めた3人の子供がいるし

成人した孫もいるしね 

うちの両親よりは安心な老後だと思うので大丈夫だろうってことで

義母の方はそっちにお任せ状態の嫁です。

 

苦労してるいるのは長女姉だけどね、ご自身の蓄えもあるようだし

私としては有難いですね・・・

やはり介護はそばにいる人の負担が大きいから

 

 

ということで

一人っ子が親の介護をしていて良いところは

親のお金の管理をしっかり把握できるという点です。

 

どれぐらいのお金があるのか?そのお金でどういった介護が受けられるのか

親のために必要な今後の費用をしっかり把握できるのです。

 

・・・ときっぱり言ってますが、うちの両親は貧乏だったので、

あとどれだけ残ってんの?

それで病院代とか生活費どうやりくりすればいいんだっけ?

といったお金の管理が必要だったのです

 

買い物や病院代等々、親に関わるものを私が親のお金で支払う

あたり前のことのようだけど

両親のお金を使って文句をいう兄弟がいるのと、いないのとでは

だいぶストレスが違うと思うのです。

 

一人っ子の両親介護は大変だ~ってことばかり思ってしまいがちだけど

お金に関しては楽だったというのが私の実感です

 

それでは

一人っ子のオバさんが介護していて良かったことでした