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マンション同居で老親が元気になった話

※この話は両親が健在だった頃の話です

老々介護と遠距離介護の限界を迎えて、同居することに

 

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新築のマンションの4LDKで大人4人の暮らしが始まりました

 

マンションに引っ越しして半年はそれまでと変わらないと夫との暮らし、同居が始まると「これから変わっていくのかな~」と呑気にぼんやり考えていたのでした

 

同居に関しては夫と結婚する前に約束していました、

「一人っ子だし、いずれ親の面倒を見たいと思っているから同居も考えてるんだけど」と伝えていたのですが、その頃はまだまだ先の話だと思っていたわけで、夫も同居を真に受けていなかったのかもしれませんね

 

マンションに引っ越してから半年で同居するというのは予定外だったかも

 

 それでも夫は「仕事で日中はいないし帰りも遅いから気にしなくてもいいよ~」

「夫の親より嫁さんの親との同居の方がうまくいくみたいだよ」と言ってくれたりして本当にこの人と結婚して良かったなと頼もしく思ったものでした

 

母いわく、「こんな風に思ってくれる男の人って少ないんだよ、(夫の名前)ちゃんを大切にしないといけないよ」と事あるごとに言ってくるのでした。

 

 

さて、マンション生活をスタートさせてからあんなに伏せていた老々両親が元気に♪

 

暗くてあまり陽が入らないどんより感満載の田舎の家から、日差しが差し込み段差のないフローリングの部屋へ、窓から見える町並みや海や山や広く見渡せる空の風景など見て両親の気分も明るくなってきたのでした。

 

「きれいだね~」を連発していましたから

 

娘と一緒に暮らせる安心感もあったとは思うけど、寒くて冷たい台所から対面キッチンになり、冷たいタイルのお風呂場から足元ひんやりしないお風呂場、シャワー洗浄付きのトイレになって本当に嬉しそうでした

 

歳をとって田舎から出てきた人がマンション住まいが始まると寂しい思いをするようなテレビのシーンを見たことありますが、うちは違いました。

 

元気になりました。

 

父は寝てばかりの生活からベットでも起き上がり、放送大学を見たり、新聞や本に目を通すようになったり、長年嗜んできた俳句も明るい句が出てくるように

 

母は着ているものがちょっとだけ小奇麗になり、部屋に花を飾りたいと言い出したり

郵便局やスーパーも5分以内の場所だったので荷物を載せるコロコロを引っ張って出かけるようになったのでした。

 

生きていく場所でこんなに人って変わるんだと思った出来事です

 

うちにとってはマンションで同居を始めて老親が前向きに変化して良かった事例です

 

しかし、老親とマンションで同居を始めてから後々問題点もありました

その事はまた、改めて書いていきたいと思います。

夫のうつ発症から10年、薬やめてみようってさ

先日、夫からこんな報告を受けました

 

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月一診察の心療内科から帰ってきた日

夫「もう薬やめようかって言われたよ。もしものために10日分だけ薬は出しておくからねっだって」 

 

へ?そうか・・・私「そう、そうなんだね良かったね~」「へ~そう良かった良かった」を連呼した私ですが、

 

これでもう鬱とはおさらばなの? 薬をやめるってことは治ったってことだよね、

いいんだよね、本当にいいのだろうか?いいんだろうな~ 

薬が無くなってばんざ~い良かったね~~♪って手放しで喜べない気分なんです

 

 

発症から10年、数種類あった薬も最後の1種をこの2年で毎日から2日おきにして飲んでいました。

夫のうつは抑うつです、でした。

 

 

ここ4年間ぐらいはうつっぽい症状もなく普通に元気に過ごせるようになっていました

少しずつ少しずつ薬を減らし、早い時期から睡眠薬もほとんど使わないような処方箋にして慎重に自然に戻していきました。

 

心療内科の主治医に恵まれたと思います。

うつ初期の頃、夫の付き添いで先生にお会いしたことがありました。

しっかりと目を見てお話して下さる先生だなというのが第一印象でした

当たり前だけど、そうじゃない先生もいますよね

 

たまに「奥さんは元気ですか?」と質問されていたようでした。

それはうつの患者さんの家族負担も考えてのことでしょう

 

心療内科をかえて2度目に出会った先生でした。

医師&患者の相性も回復への道には大切

 

10年間って長いけど、ずっと苦しかったわけではないのだから、むしろ10年もしっかり見守って診察してもらえて夫は信頼できる先生に出会えて良かったです

 

「とりあえず薬は出さないけど、もうしばらくは診察に来てね」ということらしいです

 

 夫もこの10年間で50代のおじさんになったワケで体力、気力はそれなりに衰えてきて男性にも更年期ってあるようなので、仕事のストレスからまた再発しないようにしなきゃね

 

うつをここまで克服して夫婦で乗り越えてきたけれど、働き盛りの40代を失ったのは痛手です、正直なところ生活が苦しくなり余裕がなくなったストレスが私を襲ってきています。

 

失われた10年は老後にどう響くのだろうか・・・不安

 

今はこの不安がいつも頭にあって辛くなります。

 

夫がうつを克服したのは嬉しいけれど、両親の介護と夫の鬱のサポート&パートの日々で私の40代は自分の時間の記憶がありません

目の前にあることだけをただただやってきた空白の10年・・・

 

本音を言うと「返せ~!私の40代~!」と叫びたい

なので海の画像使ってみました

父を苦しめたたばこCOPDは怖い

たばこが嫌いです! たばこ好きな方ごめんなさい・・・

 

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父を苦しめたタバコ!

父はCOPD肺気腫だった

 

父はどうやら17歳の頃から吸っていたらしい

ヘビースモーカーって一日に2箱(40本~50本)吸う人の事を言うらしいのですが、父は1箱を2~3日で吸っていたようです。

 

だから普通レベルの本数だったのかしら?

 

そんな父が57歳ぐらいだった頃 禁煙を始めました。

 きっかけは「このままタバコを吸っていたら早死にする」と言われたから

 

タレントのJOYさんが肺結核だったと数年前に告白されていましたね

今でもこの病気があるのだと驚きました。

昔の病気というイメージでしたから

 

両親が若かった頃の肺結核は治療法も安静と栄養補給が主だったそうです

 

もともと肺結核を患っていたのにも関わらず、タバコを辞めなかった父が

肺炎を起こし生死を彷徨い、一命をとりとめた事をきっかけに

やっと、57歳で禁煙宣言をしたのでした。 

 

死ぬ!という思いをして「死んでもたばこは辞めない」を撤回したのです

(家族の言うことは聞かなかったし)

 

57歳で禁煙した父も78歳で亡くなるのですが、禁煙期間21年 にも関わらず、歳と共に肺の機能も衰えてきて晩年は、とくに60代後半になってからは息苦しさとの闘いでした少し動いただけで、息が荒くなり日常生活にも支障がでてきました。

 

歩くこと、立つこと座ること、お風呂に入るときも大きな息遣い

母と二人きりの生活で買い物に行き重たい荷物があるときも大変

 

70代になって自宅で酸素マスクをつけることになりました。一日中寝るときもです。

出かける時も簡易の酸素ボンベを引いて歩くことに

 

肺気腫は肺の機能が衰えていく病気でタバコがきっかけです。

父も50代になってから禁煙に取り組んで何とか辞めることが出来て早死にすることは

ありませんでした。

 

しかし、亡くなる数年の入院生活で痰の吸引をする場面に何度も立ち会ったのですが、拷問のようにひどいものです。

目を覆いたくなるほど苦しんでいる父を見ていると辛くて辛くて、今でも怖いです。

 

拷問のようにという言い方で失礼ですね、すみません

痰の吸引が口からだけではなく、鼻からチューブを通して詰まった痰を吸い取るのは相当な苦しさだったと思います。

例えばインフルエンザの検査で長い綿棒みたので鼻に入れられた時の痛さったら!

それを思うともう・・・あの父の苦しむ表情は今でも忘れることができません。

 

もちろん看護師さん達は一生懸命に処置して下さったので感謝しています。すごいお仕事だと尊敬します。

 

父が亡くなった時の思いは、悲しさと共にこれでやっと楽になれたねお父さんでした。

介護から解放される時

両親が亡くなってから5年がたちます

 

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 今になって介護していた頃を振り返り、ブログに残しておこうと思い始めました。

 

当時はいつも時間に追われて心に余裕がなくて、一日一日を乗り越えていくのがやっとでした

 

もし、あの頃もっと何かに記録していたら父や母、私や主人の毎日のささやかな変化が残せていたのかもしれません

 

毎日を乗り越えるのがつらい日々、いつまで続くのかこの生活はって思っていました

 

介護から解放される時、それは親との永遠の別れになるとき

そう思うと悲しいし苦しいし

なんてひどいことを考えててるのだろうと自分が情けなくなりました

 

疲れてくるとロクなことは考えない

今の現実から逃げ出したくて、先の事の不安だけがぐるぐると頭の中を駆け巡る

 

もっと優しく接したいのにイライラしている自分

 

イライラすると怖い顔していたのでしょうね

母が私の顔を見て気づきました「奥歯を噛みしめて力が入ってるよ やめなさい」って

何度も言われました

 

もう~!そうさせるのはそっちでしょってなるわけで・・・

 

気持ちに余裕がない状態は人格を変えますね、嫌だあの頃の自分は

遠距離介護で実家に帰ったらやることリスト

※この話は両親が健在だった頃の話です

老々介護の日々を送っている実家へ久しぶりに帰ってみると、うっすらと湿っぽい感じになっている部屋&空気・・・

 

うわっ!今回も片付け甲斐があるな・・・と気合が入るのでした

それだけ普通に生活するのが 大変だったって証です

 

私を見て嬉しそうにしている二人を見ると頑張ってやれるだけのことはしておこうと思うのでした。

 

遠距離介護で実際に実家でやっていたことをまとめてみました

 

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  • まず掃除!全ての部屋、台所、トイレもお風呂も全て掃除
  • ごみの分別が厳しい地区だったのでごみの分別をする
  • 普段は洗っていないふとんカバー・枕カバー&カバー類を洗濯
  • ふとん、クッションを干す シーツ交換
  • 買い物、まとめ買いしてくる→ペーパー類もだから結構大量
  • 作り置きの惣菜を作り、タッパーに小分けにし冷凍しておく
  • 銀行や郵便局、役所関係の用事があれば行く
  • 母を美容室に連れてく 父も床屋へ行けるときは行く
  • やはり、病院や薬局に行くことが多かった
  • 庭をある程度手入れする

 

実家に帰った時の天気が晴れているかどうかで、仕事内容が変わってくるのですが、私が遠距離介護をしていた時は専業主婦だったのでだいたい4~5日滞在してのスケジュールで以上の事をやっていました。

 

私と離れて暮らしていても、少しでも生活しやすい環境に戻していくことでまたなんとか両親二人きりの生活を維持していくのでした。

 

 

遠距離介護は 夫の理解があったから出来たこと・・・

本当に文句も言わずに協力してくれたことに感謝しています

(数日は一人で自由だったし、たまには良かったのかも)

仕事休みは病院巡りの付き添いが定番

※この話は両親が健在だった頃の話です

パート勤めをしながら、介護をしていた頃の月の休みは7日公休+有給

 

パート仲間と相談してお互いが都合のいい日を選んで休みを取れたのはとても有難いことだった

 

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でもね、女性の多い職場だからそれなりに気を遣うのですね

日頃から仕事も真面目にして、コミュニケーションもとるようにして噂話や悪口は調子に乗って言わないように心掛け、聞き役に回っていたのでした

 

女性同士は嫌いな人は何をしても良いことは言わないし、反対に仲間意識が強いと困った時にしっかりカバーしてくれる、だから日頃の行いと仲間は大切にしておかないとイザというとき助かるのだ

 

さて、月7日の休みのうち半分以上が両親の通院の付き添いと買い物で予定が埋まる

 

父、母それぞれ内科系の病院2か所、そこに歯科、皮膚科、耳鼻咽喉科が加わる月があり、買い物&銀行&郵便局 たまに書類関係で役所へいくこともある

 

年金日は混んでるからその日はあえて外して予定を入れる

 

これが土日休み職場だったら病院や施設が休みだしもっと大変だったはず

パート先は平日休みが基本だったので病院巡りができたのだ

 

一人っ子で正社員、土日休みで親の病院の付き添いを必要としている方はどうしているのでしょうか?

私なんかよりもっと大変ですよね・・・

 

親一人でタクシーやバスで行くというのはうちはムリだったので、付き添いサポートをしてくれるところがあるといいのに・・・一緒に病院までいって診察が終わって自宅まで連れて帰ってきてくれるというのがないのか?と待合室でよく思ったものでした

 

ただ、そいうのってお金かかるのだろうな~うちじゃダメだな・・・とか

 

うちは貧乏な家庭だったので両親の年金では賄えないところも沢山あって

そこを埋める何かがあるはずだけどわからないまま時は過ぎ、毎月毎月予定表には病院マークが付いていくのでした 

自己嫌悪の日々

介護していて一番嫌だったこと

それは、自分の気持ちの余裕のなさ!

 

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イライラすることが多くなり、ヤケになって言わなくてもいいことまで言ってしまう

怒った態度でつっぱねてみたり、泣いてみたり何度も母にあたってしまった

 

なんてひどい娘なんだ

 

大きな声を出してしまった後の自己嫌悪

後味の悪さ

 

自分でも優しく接することが出来るときと、そうじゃないときの差が随分あって、

いつも心が不安定だった

 

あんなにひどいことを言えたのは、疲れていただけじゃなくって母に甘えていたからだ

いい歳してわがまま言っていたのだ

子供じゃあるまいし・・・子供の方がもっと素直か

 

母は私をなだめてくれたり、怒ったり、寂しい目をしたり

今でもあの頃を思いだすとブルーな気分になる 

 

行き詰ったまま自己嫌悪に陥る日々が何度も何度もあったな