超超初心者の20記事めの恥文

この記事で20記事め

 

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ブログを始めて一ヶ月過ぎました 早かったな

挫折しそうで、毎日更新は早い段階であきらめたけど、今は書くことに慣れようと思って書いています

 

自分の過去を振り返って、向き合う作業も悪くはないかな?

書いたり消したりしながらだけどまずは書くことに慣れたい

 

ブログ名を変えて、アイコンを作ってみた、カテゴリーを分けてみた

超超初心者丸出しだ~

 

恥ずかしい文面だけどこれも残しとこ

一人っ子ってわがままは正解?私の場合

一人っ子ってわがままってイメージ強いですね

私の小学生時代のダメダメなわがままっぷりの話を書いておこう

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ヘイヘイ、確かに私は親に結構わがままを言ってました

 

ただ、お金に関わることはシビアで、あれが欲しい~これ買って

と言っても聞き入れてもらえませんでした。

何故なら、貧乏だったから

 

子供の頃はクリスマスプレゼントもお年玉も催促したところでないものはないのです

 

それでも希望をもって靴下を枕元に置いて寝ていた幼い自分が不憫でなりません

いつまでたっても奇跡は起きないのです(T_T)

 

そうでした、毎年ではないけれどクリスマスケーキが有ったことを思い出しました。

親も子供の喜ぶ顔を見たかったのでしょう

貧乏家庭だったけど、ケーキだけは食べてたな・・・って感謝です。

 

学校に行きたくないというわがまま 

ところで、私の「わがまま」とはやりたくないことは断固拒否することでした。

「あれは嫌、これは嫌、面倒なことはやりたくない!」とすぐいう

 

例えば、小学生の頃は『学校に行きたくない』というのが私の鉄板 

以下の事情で

  • 家から学校まで2キロぐらいなのに歩く時間って無駄だ~って思ってました、車で送ってくれたら朝ゆっくりできるのに・・・ってなんて生意気(-"-)

 

  • ゆっくり寝ていたい、漫画の続きを読みたい、ドラマの再放送が昼にあるから見たいってことで仮病の日決定・・・ある日父と大喧嘩になりました(-"-)そうだよね

 

  • すっごい仲のいい友達って中学生になるまでいなかったので小学生の頃は何となくクラスにいたって感じ(いじめにあってたわけでもなく)ただ学校に行きたい要素がなかった 周りに人がいても一人ぼっちって感覚

 

  • 朝、学校についたら校庭を走るのがとてもイヤ、体育は苦手です 

とにかくめんどくさがりの小学生でわがままをたっぷり親に言い放っていたのです。

 

今振り返っても酷いわがままな自分

なんてかわいそうな母、こんな小学生は私はイヤだわ

 

当然、こんなわがままはすぐ認められるものではなく、叱られたりするのですが学校に行きたがらない私を母は無理矢理に行かせることはありませんでした。

 

父はちゃんと行けと叱るのですが、母が仲裁し見守ってくれていたのです。

私のことで夫婦ケンカもあって申し訳なかったと反省

 

学校が好きでも嫌いでもない所だったのは友達がいなかったから

遊び仲間はいるけど親友がいないって事です、母はそれを知っていたのですね

 

引っ込み思案で自分から話すことが苦手な小学生でした。

親にはわがまま言えるけど、学校ではおとなしい子 

 

中学生になってから登校拒否がなくなったわけ

田舎の学校だったので小学生から中学生になったところで同じ顔触れなのですが、中学入学とともに転校生がやってきました。

 

とっても明るい彼女はグイグイと人に寄ってくる人でした、きっとその強烈なキャラを受け入れることが他の女子には無理だったのかもしれません。

からかう男子にも真正面から挑んでいく彼女は強いです。

 

そんな彼女は私をグッと引っ張ってくれました。きっと初めて親友と呼べる人と出会いました。色んな話ができるというのは本当に楽しいものです。

私も自分から積極的に話す人になりました。明るくなったと周りから言われるように

 

あっいいんだこんな感じでって、何か吹っ切れました。

 

引っ込み思案も解消ということで「学校に行きたくない!」というわがままな私は

なくなりました。

両親も私には何も言わなかったけどきっと安心したはず

 

友達の影響ってすごいですね。人って変わるんだって身をもって経験した中学時代です

 

 

 

男たちの旅路が見たいのだ

ちなみにずる休みしてまで見たかった再放送のドラマって、山田太一脚本で水谷豊さんが出ていたNHKのドラマ「男たちの旅路」です。

桃井かおりさんも出てましたね、とってもキレイな影のあるお姉さんだった

 

 

当時の社会問題をガードマンを軸に描いていくこのドラマ、毎回考えさせらるテーマで、小学生の自分がちょっとだけ大人の世界に入れるそんな感覚

クラスの誰も見てないNHK土曜ドラマ・・・

 

・・・てそんな雑談

最後までお読み頂きありがとうございました。 

一人っ子で良かった事を考えてみた

一人っ子で良かったな~って事を考えてみます

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子供の頃編

  • 両親からの愛情を一人占めできた
  • 兄弟同志のように比較されない
  • ご飯をゆっくり食べられる
  • 一人遊びでも楽しめる
  • わがまま言える→でもすぐケンカになりますが
  • とりあえず文房具や制服は新品、自転車も→普段着はいとこのお下がり満載
  • 学研の科学と学習とコースを買って貰えた(小学生と中学生の頃)
  • りぼんとなかよしもだった→途中りぼんだけになった
  • 短期大学まで行かせてもらえた→母の希望に沿った感、自主性なしで後に反省
  • 両親の知人から褒められる→他に褒める対象がいないからですね

 

大人になってから編

  • 一人で行動できる
  • 大人になっても親からの愛情は変わらなかった
  • 母とは友達のようだった(やはり口喧嘩もあるけど甘えてたのでしょう私が)
  • 親のお金の把握が出来た
  • とくに介護が必要になってからの決め事が自分判断でOK
  • 財産遺産等の兄弟間のトラブルがない→財産遺産そのものがないって残念だわ

 

 うちは貧しい家庭だったのに本や漫画は買ってくれてたんだな~

なんか、子供の頃を思い出したりしたら少しだけ気分が軽くなりました。

 

とっても個人的な記事になってしまいました

また思い出したら追記しよ~

マンション同居で老親が元気になった話

※この話は両親が健在だった頃の話です

老々介護と遠距離介護の限界を迎えて、同居することに

 

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新築のマンションの4LDKで大人4人の暮らしが始まりました

 

マンションに引っ越しして半年はそれまでと変わらないと夫との暮らし、同居が始まると「これから変わっていくのかな~」と呑気にぼんやり考えていたのでした

 

同居に関しては夫と結婚する前に約束していました、

「一人っ子だし、いずれ親の面倒を見たいと思っているから同居も考えてるんだけど」と伝えていたのですが、その頃はまだまだ先の話だと思っていたわけで、夫も同居を真に受けていなかったのかもしれませんね

 

マンションに引っ越してから半年で同居するというのは予定外だったかも

 

 それでも夫は「仕事で日中はいないし帰りも遅いから気にしなくてもいいよ~」

「夫の親より嫁さんの親との同居の方がうまくいくみたいだよ」と言ってくれたりして本当にこの人と結婚して良かったなと頼もしく思ったものでした

 

母いわく、「こんな風に思ってくれる男の人って少ないんだよ、(夫の名前)ちゃんを大切にしないといけないよ」と事あるごとに言ってくるのでした。

 

 

さて、マンション生活をスタートさせてからあんなに伏せていた老々両親が元気に♪

 

暗くてあまり陽が入らないどんより感満載の田舎の家から、日差しが差し込み段差のないフローリングの部屋へ、窓から見える町並みや海や山や広く見渡せる空の風景など見て両親の気分も明るくなってきたのでした。

 

「きれいだね~」を連発していましたから

 

娘と一緒に暮らせる安心感もあったとは思うけど、寒くて冷たい台所から対面キッチンになり、冷たいタイルのお風呂場から足元ひんやりしないお風呂場、シャワー洗浄付きのトイレになって本当に嬉しそうでした

 

歳をとって田舎から出てきた人がマンション住まいが始まると寂しい思いをするようなテレビのシーンを見たことありますが、うちは違いました。

 

元気になりました。

 

父は寝てばかりの生活からベットでも起き上がり、放送大学を見たり、新聞や本に目を通すようになったり、長年嗜んできた俳句も明るい句が出てくるように

 

母は着ているものがちょっとだけ小奇麗になり、部屋に花を飾りたいと言い出したり

郵便局やスーパーも5分以内の場所だったので荷物を載せるコロコロを引っ張って出かけるようになったのでした。

 

生きていく場所でこんなに人って変わるんだと思った出来事です

 

うちにとってはマンションで同居を始めて老親が前向きに変化して良かった事例です

 

しかし、老親とマンションで同居を始めてから後々問題点もありました

その事はまた、改めて書いていきたいと思います。

夫のうつ発症から10年、薬やめてみようってさ

先日、夫からこんな報告を受けました

 

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月一診察の心療内科から帰ってきた日

夫「もう薬やめようかって言われたよ。もしものために10日分だけ薬は出しておくからねっだって」 

 

へ?そうか・・・私「そう、そうなんだね良かったね~」「へ~そう良かった良かった」を連呼した私ですが、

 

これでもう鬱とはおさらばなの? 薬をやめるってことは治ったってことだよね、

いいんだよね、本当にいいのだろうか?いいんだろうな~ 

薬が無くなってばんざ~い良かったね~~♪って手放しで喜べない気分なんです

 

 

発症から10年、数種類あった薬も最後の1種をこの2年で毎日から2日おきにして飲んでいました。

夫のうつは抑うつです、でした。

 

 

ここ4年間ぐらいはうつっぽい症状もなく普通に元気に過ごせるようになっていました

少しずつ少しずつ薬を減らし、早い時期から睡眠薬もほとんど使わないような処方箋にして慎重に自然に戻していきました。

 

心療内科の主治医に恵まれたと思います。

うつ初期の頃、夫の付き添いで先生にお会いしたことがありました。

しっかりと目を見てお話して下さる先生だなというのが第一印象でした

当たり前だけど、そうじゃない先生もいますよね

 

たまに「奥さんは元気ですか?」と質問されていたようでした。

それはうつの患者さんの家族負担も考えてのことでしょう

 

心療内科をかえて2度目に出会った先生でした。

医師&患者の相性も回復への道には大切

 

10年間って長いけど、ずっと苦しかったわけではないのだから、むしろ10年もしっかり見守って診察してもらえて夫は信頼できる先生に出会えて良かったです

 

「とりあえず薬は出さないけど、もうしばらくは診察に来てね」ということらしいです

 

 夫もこの10年間で50代のおじさんになったワケで体力、気力はそれなりに衰えてきて男性にも更年期ってあるようなので、仕事のストレスからまた再発しないようにしなきゃね

 

うつをここまで克服して夫婦で乗り越えてきたけれど、働き盛りの40代を失ったのは痛手です、正直なところ生活が苦しくなり余裕がなくなったストレスが私を襲ってきています。

 

失われた10年は老後にどう響くのだろうか・・・不安

 

今はこの不安がいつも頭にあって辛くなります。

 

夫がうつを克服したのは嬉しいけれど、両親の介護と夫の鬱のサポート&パートの日々で私の40代は自分の時間の記憶がありません

目の前にあることだけをただただやってきた空白の10年・・・

 

本音を言うと「返せ~!私の40代~!」と叫びたい

なので海の画像使ってみました

父を苦しめたたばこCOPDは怖い

たばこが嫌いです! たばこ好きな方ごめんなさい・・・

 

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父を苦しめたタバコ!

父はCOPD肺気腫だった

 

父はどうやら17歳の頃から吸っていたらしい

ヘビースモーカーって一日に2箱(40本~50本)吸う人の事を言うらしいのですが、父は1箱を2~3日で吸っていたようです。

 

だから普通レベルの本数だったのかしら?

 

そんな父が57歳ぐらいだった頃 禁煙を始めました。

 きっかけは「このままタバコを吸っていたら早死にする」と言われたから

 

タレントのJOYさんが肺結核だったと数年前に告白されていましたね

今でもこの病気があるのだと驚きました。

昔の病気というイメージでしたから

 

両親が若かった頃の肺結核は治療法も安静と栄養補給が主だったそうです

 

もともと肺結核を患っていたのにも関わらず、タバコを辞めなかった父が

肺炎を起こし生死を彷徨い、一命をとりとめた事をきっかけに

やっと、57歳で禁煙宣言をしたのでした。 

 

死ぬ!という思いをして「死んでもたばこは辞めない」を撤回したのです

(家族の言うことは聞かなかったし)

 

57歳で禁煙した父も78歳で亡くなるのですが、禁煙期間21年 にも関わらず、歳と共に肺の機能も衰えてきて晩年は、とくに60代後半になってからは息苦しさとの闘いでした少し動いただけで、息が荒くなり日常生活にも支障がでてきました。

 

歩くこと、立つこと座ること、お風呂に入るときも大きな息遣い

母と二人きりの生活で買い物に行き重たい荷物があるときも大変

 

70代になって自宅で酸素マスクをつけることになりました。一日中寝るときもです。

出かける時も簡易の酸素ボンベを引いて歩くことに

 

肺気腫は肺の機能が衰えていく病気でタバコがきっかけです。

父も50代になってから禁煙に取り組んで何とか辞めることが出来て早死にすることは

ありませんでした。

 

しかし、亡くなる数年の入院生活で痰の吸引をする場面に何度も立ち会ったのですが、拷問のようにひどいものです。

目を覆いたくなるほど苦しんでいる父を見ていると辛くて辛くて、今でも怖いです。

 

拷問のようにという言い方で失礼ですね、すみません

痰の吸引が口からだけではなく、鼻からチューブを通して詰まった痰を吸い取るのは相当な苦しさだったと思います。

例えばインフルエンザの検査で長い綿棒みたので鼻に入れられた時の痛さったら!

それを思うともう・・・あの父の苦しむ表情は今でも忘れることができません。

 

もちろん看護師さん達は一生懸命に処置して下さったので感謝しています。すごいお仕事だと尊敬します。

 

父が亡くなった時の思いは、悲しさと共にこれでやっと楽になれたねお父さんでした。

介護から解放される時

両親が亡くなってから5年がたちます

 

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 今になって介護していた頃を振り返り、ブログに残しておこうと思い始めました。

 

当時はいつも時間に追われて心に余裕がなくて、一日一日を乗り越えていくのがやっとでした

 

もし、あの頃もっと何かに記録していたら父や母、私や主人の毎日のささやかな変化が残せていたのかもしれません

 

毎日を乗り越えるのがつらい日々、いつまで続くのかこの生活はって思っていました

 

介護から解放される時、それは親との永遠の別れになるとき

そう思うと悲しいし苦しいし

なんてひどいことを考えててるのだろうと自分が情けなくなりました

 

疲れてくるとロクなことは考えない

今の現実から逃げ出したくて、先の事の不安だけがぐるぐると頭の中を駆け巡る

 

もっと優しく接したいのにイライラしている自分

 

イライラすると怖い顔していたのでしょうね

母が私の顔を見て気づきました「奥歯を噛みしめて力が入ってるよ やめなさい」って

何度も言われました

 

もう~!そうさせるのはそっちでしょってなるわけで・・・

 

気持ちに余裕がない状態は人格を変えますね、嫌だあの頃の自分は