遠距離介護が本格的になってあきらめたこと

一人っ子オバさんが30代だった頃の話

結婚して子供もいない専業主婦生活を送っていました

夫は地方都市にいて全国平均よりちょい下あたりの年収で、贅沢はできなくても

普通に食べていける生活でした

 

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私は好きな趣味を満喫させ資格を取り、なんとか指導する立場にまでになっていて

暇があれば、図書館へ行きその趣味関連の本を読み、勉強し目標をもったやりがいのある日々を楽しんでいたのでした。

 

その頃はマイホームや子供やを持つ事よりも、勉強するだけどんどん成長していく

自分の姿が好きで、資格まで得たこの趣味を自宅で教えていきたいと準備していた時期でした。「自宅でお教室」って憧れてましたから・・・

 

そんな矢先

 

遠距離介護が本格的になったのでした

 

実家からの助けてコールが頻繁にかかってくるようになります

 

 

私は20代の頃から呼吸器系が弱い父の入退院の付き添いをしてきました。

田舎で車の免許がない母には遠出は難しいことです。

 

そのたびに仕事の休みをもらい、実家に帰っていました。

あるときは仕事中に病院から呼び出しを受けて母のかわりに駆け付けたこともあります

幸い、理解のある職場だったので本当に何度も助けてもらいました。

 

結婚直後、私自身も子宮頸癌の手術をしたこともあり、専業主婦のまま生活していました。(子宮頸がんは初期だったので妊娠は可能でしたが子供には恵まれませんでした)

 

仕事に就かず専業主婦でいられたお陰で、両親が体調が悪いときにいつでも帰れるというのは精神的にも体力的にも楽で恵まれた生活でした

 

夫がきちんと働いて収入もそこそこあったからこそ出来た生活&遠距離介護です

(後に夫はウツ離職し年収が下がり、私も働くことになります)

 

実家は自宅から車で2時間半ぐらいのところにありました。

2か月に一回実家に帰るペースでしたが、ある日から父の眼科治療が遠方の病院に通うことになり毎月2~3日実家に泊まり身の周りの世話をするようになっていました

 

それが月日を重ねるごとに 毎月の実家泊まり2~3日が4~5日となり、だんだん一週間と長く実家にいることが多くなってきました

 

両親も二人でできることは頑張って生活していたので、私を呼ぶときは結構ギリギリに我慢した生活が続いた時でした。

  

 遠距離介護が本格的になってきたところで、自分の趣味の教室なんて出来る状況じゃ

なくなってしまいました。

もう少しで憧れだった「お教室」をあきらめることにしました。